彼女とのことでケジメをつけるのが結局、彼女にもしあわせではと...

2005年12月7日(水)〜2006年1月3日(火)

2005年12月7日(水) 埼玉県 東村山 Patio

 ほんと、もうSEXをするためだけに行った。(^_^;)
ただ途中、少し道を入ったところのに景色のいい中華屋があったので、昼ごはんのランチを食べたけど、あまりおいしい、というほどでもなかった。(^_^;)
 確か、一階と2階がある大きな駐車場のあるレストランで、案内があちらこちらにあったので入っただけだ。(^_^;)

  


12月30日(金)茨城県笠間市 ホテル 湯島御苑

 去年も正月の買出し、という目的もあって笠間市がやっているクラインガルテンに寄ったが、今年もそうすることにした。
ドイツが発祥で、定常的な別荘としても使える(^_^;))

 まず腹ごしらえ、ならぬ、愛ごしらえをということで、いつものラブホ街をめざした。(^_^;)
去年はクリスマスで無理だった人気のホテル 湯島御苑へ今回はスンナリはいることができた。
 今年、最後のSEXをくねくね君の力を借りながらも、なんとかこなしてひと寝入りした。(^_^;)

ホテル 湯島御苑の部屋の中

隣のラブホ(コテージタイプ)が窓から見えた(^_^;))

 愛ごしらえを終わって、クラインガルテンについたものの農産物直売所などはもう閉まっていて、年末がこうも迫っていたらダメなようだ。(去年も確か、ぎりぎりセーフだったような。よく去年の日記を振り返りながら考えたら、確か、その翌日ぐらいまでで終わりだったような気もする。役所と同じだと12月28日ぐらいまでだったかなー?)
 また去年、餅つきパーティをしていた近くの喫茶店ものぞいたけど、そこも閉まっていた。今度来るときは、もう少し早めにこなくっちゃーなー。去年、暖かく、私たちを迎えてくれた所が今年はなかったので、何かさびしい気持ちで笠間市内に向けて車を走らせたのだった。

途中のさびしい自然の風景1

途中のさびしい自然の風景2

 そして何となく、去年も参拝した笠間稲荷神社にも立ち寄った。そこの前の大きな笹目宗兵衛商店の裏の駐車場に停めて、そこのにごり酒を買おうと思ったけど、結局、茨城の干し芋を買った。(これが柔らかくて子どもたちにも人気でおいしかった(^_^;)) そして結局、昼ごはんは神社の隣の狸庵 つたやで鴨汁の蕎麦を食べたのだった。結構、それもおいしかった。

笠間稲荷神社(初参り前のさびしい神社の境内)

狸庵 つたやのかも南蕎麦

 うーん、結局、なんか、さびしい年だったのかなー。(^_^;)
二人だけがあつあつで、お互いの子どもたちにはさびしい想いをさせてしまったからなー。
こんな生活を続けていくもんじゃ、ないのかなー。(^_^;)


2006年1月1日(日)

 娘も息子も友達と初参りに出かけたので、私も彼女を誘って去年と同じ府中の大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)に初詣に行った。そして、おみくじを引いたら、今回は彼女は東北の方角が吉で、私は北か西とのこと。

よって二人に共通の北ということで、埼玉や栃木のラブホにこれからは行くことになりそうだ。(^_^;)

 さて、ここをお参りして、いつも感じるのは、この提灯が魂を現していているようで、何か、神秘的に見えることがあることだ。そう、昔、野ウサギをみんなで囲んで捕まえたこともあったが、その後、お寺の子を夜みんなで遠くから見送ったのだが、その寺の家への石段をその子が登ろうとしたとき、ふっと提灯みたいな灯りがまわりに灯り、火の玉のようで、みんな不気味がったときがあったのを思い出した。もう、40年以上前の田舎での思い出話だ。(^_^;)
(その寺では神社も隣接して管理していた。日本は昔から神仏一体だったからなー(^_^;))

 


2006年1月2日(月)

東京都 練馬区 光が丘公園

 夕方、エッチなしのデートで光が丘公園を散策した。

 


1月3日(火)埼玉県 栗橋町 ☆☆栗橋ステラ

  何か、子どもたちには申し訳ない、と思いながら、いそいそと仲間の新年会ということで家を抜け出してきた。

 いきなり初エッチでラブホというのも興醒めなので、一応、高速道路を使わず下の道を北に車を進めていった。そして最初に出会ったのが、大宮 花の丘農林公苑だったけど、寒くて、菜の花も花の芽が出始めた段階で、まだまだ、と言う感じ。

本当に、今年は異常に寒くて、公園をちょっと回って、すぐに車に戻った。(やっぱり逆の意味で地球温暖化が影響しているんだろうな)

 

 それから、また、車を北に向けて走らせ、まず愛ごしらえからはじめることにした。(^_^;)

いくつか迷ったけど、結局、栗橋ステラにして、そこの特別室を選んだ。(初エッチは豪華に(^_^;))

大きなジョットバスとバスルーム: 体いっぱいのばして泳げるぐらい (^_^;)

 

SEXを終えて、ドライブの帰り、荒川から夕日に浮かぶ富士山が

夕日に映える富士山のはるか左上の空にかすかに糸のような月が...

 さてSEXを終えて、気だるいけど、何か幸せな感じで車を東京に向けてドライブしている中、
彼女は私の愛を確かめるように聞くのだった。

「私が離婚したら本当に私といっしょに暮らしてくれるの?
 本当は、単に私は奥さんのSEXの代理で、あなたの都合のいい時にSEXするだけの女なのじゃ、ないの?。
 いつかあなたは冗談っぽく言ったけど、結婚相談所に行って、私を養ってくれそうな男を見つけるようにしなさい、なんて、もう、言わないわよね。
 私には、心を許して話せる人は、もう、あなたしかいないの。
 わかるでしょう。」と.....

でも、そのたびに、私は心に罪悪感を抱きながらも、こう答えざるを得ないのだ。

「これまでも、ずっと二人で思い出作りをしてきただろう。
いっしょにいるとしあわせだよ。
これからも、ずっと、ずっといっしょだよ。」と、お茶を濁すしかないのだ。

彼女は勝手に、アパートの隣同士でいいから住みあい、いっしょに自由に行き来して暮らしたいと、想像を逞しくしていってるのだ。子どもたちも親離れして、お互いの独立した子どもが遊びに来て、孫もつれてきて、お互いの孫を面倒みてくれる、というのだ。

 とても私には今は想像もつかないのだが、彼女の心の中では、そのような夢がもう勝手に膨らんでいて、いつになったら、そのようにいっしょに近くに住みあえるようになるか、たびたび、聞くことがある。

 「君が2007年、離婚して、私の子育ても終わり、子どもたちが独立したらね。」とは一応、言ってるのだが、果たして、それを私は望んでいるのだろうか?

 実は、今の居心地のいい、家や家族関係を捨ててまで、一緒に彼女と暮らすつもりはないのだ。

 最近、彼女は、私のそんな心を知ってか知らずか、よく「私のことがハッキリするまで、エッチはもうやめましょう。」と言う。
「そんなの僕には我慢できないよ。」と言うと、
「それじゃあ、どんなとき、私が必要なの?」とまた、聞いてくる。

「やっぱり1週間に一回は、体が欲しくなる。まあ、2週間ぐらいは我慢できるけど。}

「あー、やっぱり、体だけなのネ」

「あっ、そうそう。(^_^;)
 朝や夜の電話での話も必要だな。心のコミュニケーションも必要だ。」と
とってつけたように言うと、ちょっと安心したような顔をする。 
 でも本当は、体が一番、欲しいんだよ。
それは彼女もあからさまには言わないけれど、そうだと思う。
(心置きなく話ができる、と言うのが彼女には大きなウェイトを占めてはいるようだけど)

 もう50歳を過ぎて、生理はなくなったようだけど、女として体を求めるときがあるからだ。
電話で話していて、猫なで声で甘えた声を出して、それとなく求めてくるときがあり、
そんなときは、「この前したばかりなんだから、我慢しなさい」って、やさしく叱る。(^_^;)

 あー、なんか、ドロドロした世界に入っていきそうな気がする。

 もう、いい加減、お互い、体だけの関係、と言うことをハッキリさせておいた方がいいだろうな。

それを前提に、新たにつきあっていくのだ。

そう、彼女がよく私に聞くこととして、「もっと魅力的な若い女の人が出てきたら、あなたはつまみ食いしちゃうでしょう!」と。

 言下に、すぐ否定するようにしてるけど、本音を言えば、当然、つまみぐいしちゃう方なのだ。(^_^;)ただ彼女の監視が厳しいから、遠慮してるし、つまみ食いしたら、彼女自身も公然と浮気する、って言うから、それは、ちょっと許せない、と勝手に思ってしまうのだ。私の勝手といえば、勝手なのだけれど。(^_^;)

はてさて、私の本当の気持ちって、どうなんだろう?

 うーん、今のところは私の都合でSEXができて、子どもたちが巣立っていくと、いっしょに暮らして、老後はだから、子どもに頼らなくても、彼女がいろいろ世話をしてくれる。(^_^;)

あー、本当に勝手な男だね。(^_^;)

でも彼女も含め、お互いの家族やみんなの幸せを考えたら、どうなんだろう。

 私に関しては上の子どもの結婚を機会にお互いに独立して住むように財産分与する。それまでに彼女も正式に離婚して、旦那との財産分与に関して決着を着けておく。そして、お互いの家を子どもの分も含めて近くに建てるか、借りて住み、さらに少し年をとってきたら、いっしょに住みあうようにする。
  でも、これが本当の彼女の幸せにつながっていくのだろうか?
本当なら彼女と旦那とのよりを戻し、子どもたちも息苦しい家庭内別居から夫婦がなかよく暮らす普通の家庭生活に戻すのが一番いいのだろう。ただ、そういう状態が20年以上も続いている現状では、もう、それは取り戻しようのない人生なのだろう。何度か、旦那にやさしい言葉の一つでもかけてあげたら、と言ったのだが、つい喧嘩口調になる、とのことだった。一度、別居したことがあるらしいのだが、そのまま離婚していれば、彼女にとって、どれだけ、精神的にも楽だったろう。
 でも彼女もずるいところはある。夫の給料(お金)だけはあてにしており、自分は一般の人がとりにくい国家資格をもっていながら、昔、職場であったセクハラやイジメがトラウマとなって、働く気力がない、と言うのだ。年金まではまだまだだし、何か、生活の糧になるような職業を学んだら、とアドバイスするのだけれど、なかなか実際に手をつけるまでにはいかないようだ。

 でも過ぎてきた日々はもう取り戻せない。
その意味では、私の家族に関しては、子どもたちにさびしい想いをさせるのはもうやめよう。子どもたちが各々遊びに出て行って、自分たちの時間ができたら逢うことにしよう。
あまりにもお互いの快楽だけを求めすぎてきたようだ。最近はやっと息子とまたキャッチボールをしたり、娘と夕食をいっしょに準備したりと、楽しく過ごすことができるようになってきた。
 でも君との時間は自分にとっても、こんなに幸せだと感じた時間はなかったよ....。君もいつもそう言ってたけどね。本来過ごすべき、子どもらとの時間さへ犠牲にしなければ...。そのことだけがいつも心にトゲの様にささっていた。
 本当は病気になって入院してたときに気づくべきだったんだろうね。でも、あのときはまるで新婚生活を病院で過ごしたみたいな気分になってたもんね。
 この前、君と逢って、小高い山に登ってまわりの風景を見ようとしたとき、心臓が少し痛くて、不整脈が頻繁におきたときがあった。「あー、もしかしてこれで人生の最後になるのかなー」って、まるでドラマの最後のシーンを想像した。でもそうなったら、それはそれで幸せな最後なのかもしれない、なんて思ったよ。でも、結局、富士山も見えず、ただきれいな夕日の風景が広がっているだけだった。もし人生の最後を迎える場をどこにする、と言われたら、その場所で夕日を見ながら死にたい、って言うだろうね。(^_^;)

みかも山公園 富士見台より

ふー、やっと結論めいたことが出てきた。(^_^;)

明日、このことを話して、この婚外恋愛初体験日記ももう終えることにしよう。

みなさん、どうも、いろいろご心配かけたりして、申し訳ありませんでした。

また、いつか、この展開をレポートするようにしますネ。

では、では、長らくご愛読、ありがとうございました。

m(_ _)m

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