やっぱりまだ子供の都合を優先: あまり遠出はできず
2004年9月12日(日) −anan 埼玉県
東松山IC
この日も、子供の都合で、出るのが朝の10時過ぎになってしまった。
最近は遠出をしていないので、なるべく遠くに行けるだけ行こう、と高速道路を使って、関越自動車道を田舎の方に飛ばし、田園風景が広がってきた、東松山あたりで降りることにした。
さっそく時間もあまりないし、おなかもすいてきたので、ここで食べちゃうと、SEXプレイがあまりのらないような気がしたので、まず、ラブホを探して入ることにした。
彼女も、東京一週間の付録のラブホのマップをもってきて、ここがいいのでは、と、いくつか指差した。
でも私は、秩父の方に車をドライブしながら、適当に、よさそうなところに勘ではいることにした。
2,3軒、まわって、結局、比較的、窓を大きく、開放的で、周りが田んぼだったananに決めた。
ただ部屋を決めるのに、受付のおばさんはまだ新しいらしく、どの部屋が緑の多い、西向きの部屋か把握しておらず、いちいち、電話して、オーナーに確認しているようだった。
私も外に出て、どの部屋がいいか、検討して、やっと、決めることができたのだった。
さて3時間しかない、と言うので、出る30分前に目覚ましをセットして、SEXプレイを楽しむことにした。
まず、いつものように全身を舐めるようにして、指でもなでて、愛撫の最後はクリトリスを舐めあげる。
そのうちに、あれを使って、というので、「ぼくのだと思っていいよ」とゆっくりとおもちゃのものを差し込んで、徐々に、振動を激しくしていくのだ。
膣の中が、ぐちょぐちょになって、今にもいきそうになると、彼女は、おもちゃをはねのけて、わたしのものをほしがったので、ゆっくりといれると、笑うような表情を浮かべ、次に、狂おしいような表情で上半身をのたうちまわりながら、歓喜の声をあげて、果てたのだった。
1時間近く寝ただろうか、彼女は、お風呂にはいったり、テレビを見たりしていたようだったが、目をさました私を見つけると、すぐ、ベッドの中にすべりこんできた。
そして、もう、2回目の所望をするのだった。
しきりとわたしのものをいじりながら、少し、固くなると、私の上にのってきて、自分の中に、いれるのだった。
最初は痛いような感じだったが、がまんしていると、そのうちに快感にかわってきた。
ふと彼女を見ると、怖いような表情をしながら、獣のように私の上で官能の嵐と戦っているようだ。
また、彼女を横にして、左手を肩から廻して、左側の乳房と乳首を捕え、口は右側の乳房にすっぽりと咥え舌で乳首をころがし、右手の親指でクリトリスを、中指と人差し指を膣に奥まで入れ、Gスポットを刺激しながら、小指をアヌスを少し入れるような感じで動かしていると、また、もう、愛液が滴り落ちて、彼女自身も「あー、あふれる、あふれる」と繰り返し、その自分の言葉で、また酔っているようで、最後、うめき声をあげて、とうとう、指で感じて、いってしまったようだった。
まだ、はあ、はあ、と、荒い息を続けて横たわる彼女に、「指でいったようだよ」と言うと、恥ずかしそうに、「えー、あの時って、よくわからないの」とぼんやりとうつろな目を開いてつぶやくように言った。
少し、横になっていると、非情なアラームの音が鳴った。
急いで、お風呂にはいって、そそくさと帰り支度をして、外に出た。
ananでSEXの後、さらに郊外を目指して、車をドライブし ていたら、すぐ丸木美術館と書かれた看板が見えてきた。
どんな美術館かな、と 期待しつつ、その前に外でゆっくりお茶を飲むところがあり、そこで少し、休んだ。そして、親切な若い係りの人に絵の入り口のところまで案内され、「ここのところ毎年、入場者も減っているんですよ。」という話を聞きながら、順路に従って、絵を見ていった。
だけど、そこには、この世のものとは思えぬ、おどろおどろしい世界が広がっていた。
お化け屋敷のような想像の世界だったら、まだ、ましだけど、現実に起こった世界を圧倒的な迫力で目の当たりに見せられるのだから、これ以上、怖い世界は あるだろうか?
昔、小学生のころ、両親につれられて見せられた、お寺の地獄絵を思い出した。そして「悪いことをすると、死んだら、こういう世界にいっちゃうのよ、わかった。」という母の言葉も思い出した。
彼女とのSEXのあとだったから、なんとか耐えられたのかもしれないが、もしその前にはいってたら、とてもそんな気もおこらなかっただろう。(^_^;)
丸木美術館のあたりの360度パロラマ
またここの絵を見てて印象に残ったのは、妙に、女性器の描写がリアルな地獄絵があり、死んでいる女性なのに、なんで、まだ、この部分がこんなに生々しいのか、何度もまじまじと見つめ直してしまった。SEXの後で、彼女のものを見たばっかりだったから、余計に、生々しく見えたのかな?
いや、作者の意図かもしれない。だって、あの部分は生命の種をいれる部分で、なおかつ、新しい生命が出てくる部分でもあるのだから。
その生命の躍動する象徴として、旦那さんは生々しく書いたのかな?
(なお、この絵は夫妻が共同で描いたもので、奥さんはデッサンを、旦那さんが水墨画で塗る、という役割分担だったらしい)
あー、でも、この絵を見ると、とても、戦争などを起こす気がなくなる。
誰でも、平和が一番、と思っちゃうね。
ただ、その後、この美術館のまわりにあふれる川やそのせせらぎ、そして野の花など、十分、自然を満喫できて、やっと、何か、ほっとできたのだった。
その後、風光明媚な嵐山までドライブを楽しむことができた。
なお最近、彼女とは、年取ったら外国にロングステイしようね、と約束している。
でも、それも気の長いはなしなので、私は、毎週、外国を気楽に楽しもうか、と言った。
私が提案したのは、週末、関東にある外国の町を行くことだった。
私が外国で暮らしたときも、よく、週末、各国の街をドライブして、そこの料理を食べ、その国の人の生活になりきって遊んだこと思い出したからだ。