「9時間もこんな広い部屋でいっしょにいられて幸せ!」 
でも、あくる日、大きな試練が... 

2003年10月19(日)−パティオ 石和 055-347-4511

 最初は、旦那が早くでるから、そのあとから、と言う話だったが、急に、それだとラブホテルのサービスタイムの時間をフルに利用できない、と言うので、彼女から朝4時から出られないか、と聞いてきた。

 どうせ私の家族が寝静まっている間に出かけるのだから、同じだ、と言い聞かせて、私も思いきって、朝、早く出ることにした。音をなるべくたてないように、家を出た。 車庫のシャッタの開ける音が妙に大きく響くのが気になった。

 まだ月が出て、星がきらめいて、きれいな星空が広がっていた。

秘密の待ち合わせ場所で彼女を拾うと、すぐに中央高速をめざした。

いつもの明るい時間の中央高速と違って、まだ夜が明ける前は、飛行機で飛ぶように走れるので、爽快である。夜が白み始める前で、まだ星のまたたきが見える。

 山梨の一宮御坂のインターをおりて、石和のラブホで6時からフリータイムというところに電話で確認したが、最初のエルミタージュやシャンティ石和も満室で、9時ぐらいからでないと、だいたいは出ない、と言われ、 空いてるホテルがあるのか、少し、心配になってきた。

やっと、3件目のパティオでちょうど、今、お客さんが出た、と言われ、空いたので、急いでいくと、駐車場で待っていれば、受付番号を放送するので、その番号を呼ばれたらはいってくれ、と言われ、15分ぐらい待って、やっとはいることができた。

 ただ部屋にはいって、彼女もびっくりしていたのは、グランドピアノがあって、部屋が広くて、窓をあけると朝の普通のホテルの一室になり、窓をしめると夜の雰囲気になり、赤いライトに照らされて、怪しい雰囲気にもなることだ。こんなところで、本当に夕方4時まで約9時間もいられるのか、と私は少し不安になったが、結果的には、十分いられて、まだ、物足りないほどだった。まあ、新婚 気分の2人にとって、いっしょにいられる時間はいくらあっても足りない、と言う感じだ。

 部屋をチェックして、バスも広いのを確認して、お湯をはって、例のように、十分、愛撫しながら、朝の光をいれて、モーニングセックスの気分で、服を脱がし始めたのだった。いつもの立たせたままのクリトリスのキスをした後は、バスルームに行って、彼女の体全体にはじめて油を塗って、遊んだり、お風呂にはいって、前になったり、後ろになったりしながら、いろんな体位での挿入感を楽しみながら、愛し続けたのだった。そして、また、ベッドにもどり、股間にキスをして、最後は、私が上になって、激しい叫び声といっしょに果てたのだった。

 その後、彼女が言うには、股間からぴゅーと飛び出すものがあって、あういう感覚って、初めて、とえらく感激し、紅潮した顔を向け話すのだった。私は、冷静に「あー、それが潮吹きっていうんだよ」と言って、よく感じるような体になった証拠だよ、と教えてあげた。

 もちろん私もそんな風に言われたのは初めてだったが、ただ女房は言わなかっただけなのかもしれない。男として、ちょっと満足感をいだきながら、彼女の話を聞いたのだった。

その後、彼女を指で愛撫しながら、いつのまにか、2人は寝てしまったのだった。

子一時間寝ただろうか。

 妙に、お腹がすいたので、まだ、11時のランチタイムにはなってなかったが、私は精をもっとつけるため、うな丼を、彼女はモーニングセットをたのんで、家庭で食べるように、窓をあけて、朝の雰囲気でブランチを楽しんだ。

 その後、ビデオがあるのに気づき、彼女も興味をもっているようなので、アダルトのビデオを2人で見始めたのだった。私は、だいたい、見たことがあるのだが、彼女は、こんなのは見たことがなく、熱心に見入り、えー、そんなことするの、といちいち、驚きの声をあげるのだった。

 ただ、私もいちいち、あなたの方が、この子より、もっといい声をあげて、悶えているよ、と教えてあげると、満足そうにうなづくのだった。

 ところが、こんどは、もっとプロの男が本番でやるシーンが出てきて、ビデオの女性も狂ったように悶えるシーンが出てくると、私は、もう、これ以上、だめだよ、っと言って、ビデオを途中で切った。

 そして、また、彼女の体を求め、私も、いきなり、入れた。

彼女も驚いたように、えー、いきなりなの、と言ったが、こんどは、乱暴に彼女を押さえつけ、嫌がるように首を振る彼女を無理やり、犯し、果てたのだった。

 もう、あんなビデオを見るから、対抗心をもやしちゃったのね、といたづらっぽく彼女は笑い、やっぱり、子供にはあんなビデオを見せると、あなたみたいになって、よくないわね、と、さっきのようなSEXは彼女の本意でない、ということを暗に示唆していた。

 ごめんね、と謝りながらも、男としては、なんか無理やり犯す、っという、支配欲や独占欲が満足されたのだった。

 その後、彼女と話していると、泣きながら、彼女の不幸な結婚生活のことなどを話し始め、今まで、聞いたことのない不幸な生活のことも告白してくれたのだった。そんな不幸な生活にめどがつき始めたときに私と出会い、愛し合うことの歓びをひしひしと噛みしめている、というのだ。

 私自身も彼女といると幸せな感じをいだくのだった。また、誰にも言えなくて、一人で耐えてきた人生だったが、私というパートナーができ、愛し合うことができ、本当に幸せだ、と感じているのだった。

「いつまでこんな幸せな生活が続けられるのだろう」というと、「いつまでも私たちっていっしょよ」と彼女は言い、「2人の間にどんな難関があろうと、2人でのりこえていきましょうね」とも言った。

 またバスルームにはいり、こんどは、バスタブに立たせて、彼女の股間にキスをし続けると、彼女も耐えられなくなり、また、バスタブの中で抱き合い、ベッドに戻ったのだった。

 ただ、ふと、時計を見ると、もう、20分ぐらいでタイムアウトの時間の4時が迫っていたのだ。

あわてて帰り支度をした。

 帰ると、つかれきってしまい、ほとんど、なにもせず、携帯を書斎に開けたままで、まだ夜の10時だというのに、そのまま、寝てしまったのだった。それが、はじめての2人の難しい事態を招くとは、疲れて寝入っている私には思いもよらないことだった。

 私が寝入っていた、夜11時ごろ、彼女から1行の「幸せだった」というメールが届いていた。

それを家族が見てしまったのだ。

もちろん、その1行だけにとどまらず、ラブホテルのことや、会うまでのお互いの経過状況の説明のことなど、全て、読まれてしまったのだ。

 もう、家族のものは、「彼女に会わせなさい!」と、それの一点張り。

仕方なく、会わせたのだったが、それが、彼女に大変な苦労を背負わす結果になったのだった。

彼女は、針のむしろに座らせられた気分で、ずっと、泣いていた、と話すのだった。

体の調子も悪く、目もはれあがり、生きる気力もなくなり、もう、これ以上、こんな生活は続けられない、と訴えるのだった。 そして、「あなたとの思い出だけを抱いて、生きていくから、もう、わかれましょう。」とメールで訴えるのだった。

メールだけで別れてしまうのは、耐えられない、と、せめて電話をさせてくれ、と訴えた。そしたら、メールで、話はしないけど、受話器であなたの言うことを聞くだけなら、電話してもいい、との返事。昼休み、雨の降る公園で私は泣きじゃくりながら、黙って受話器をもったまま聞いている彼女に「思い出だけで生きていくなんて、さびしいよ。お互い、いやなことを話し合ったり、相談しあったりして、いっしょに生きていくって、約束したのに。なんで、別れるなんて」と、泣きながら、私は黙って聞く彼女への電話を切ったのだった。そしたら、すぐ彼女から電話がかかってきて、泣きながら「私もわかれたくない。これからもずっといっしょにいたい。いろいろ相談できる、ともだちとしていてくれる?」と、たずねてきた。

 急に、私は、泣きはらした目を見開いて、「えー? ただのともだち、として?」と、聞いてしまった。その夜、会う約束をして、車で彼女をひろい、近くの公園に車を停めた。

 私は、彼女を車の中で説得し、また、これから2人の思い出をつくっていくんだよ、と、あえて別れる必要がない、と言って、車の中で抱き合った。 そして、また、私は、彼女に言えなかった、所沢での帰りの質問へのこだわり、や妻とのことなどを話したのだった。泣きながら、そのことを言うと、逆に、彼女は「あなたが悪いのじゃないのよ。」と言って、私をなぐさめてくれたのだった。

 最初は、死んだような彼女に、無理やり私がキスをつづけていたが、そのうち、彼女の方からも、答えるようになってきた。 そうしているうちに、彼女は生き返ってきたようで、「ちょっと元気がでてきた」と言って、いつもの彼女のペースが戻ってき た。

 そこで、また、告白してくれたのが、1日中、泣いていたとき、ついさびしくて、あの部分に手をいれて、何か、気持ちよくなった、と言うのだ。私は、これからは、ひとりじゃなく、ぼくが、 しっかりしてあげるんだから、それまで我慢するんだよ、といいきかした。

 あー、でもよかった。

なんとか、はじめての二人の難関は、突破できたようだ。

 

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