私の乏しい女性体験 と妻との出会い、そして反省 (^_^;)

 私の乏しい女性体験
私自身、女性の体は2人しか知らない。妻とこの日記の彼女だけだ。 (^_^;)

 初めてキスをした相手は地方の大学時代にボランティアをしていたとき知り合った女性です。当時は彼女は看護学校に通っていました。この彼女を私の誕生祝いということでアパートに誘いました。部屋をまっ暗にして、ケーキにローソクをつけ、そのローソクを消したとき、隣り合って座った彼女をそっと横から抱きしめて、お互い倒れこみながら、甘い、甘いキスをし続けました。
(大感激、大興奮でした (^_^;))

 そして私が田舎の大学を卒業して東京で働きはじめたとき、アパートに遊びに来たときがありました。そのとき、部屋にはいってキスをしてから、上のブラウスをとりました。そしてブラジャーをはずそうと、後ろに手をまわしても、ホックがない、ない? 
 彼女は、「これって、フロントホックなのよ」と言って、自分ではずして、乳房を露にしてくれました。そこで彼女を横に倒して、乳首を吸ったり、乳房をもんだりして、それ以上にことをすすめようと(^_^;)ズボンのファスナーに手をかけようとしたのですが、「いやいや」と嫌がったので、やめてしまいました。 そして、しばらく放心状態だった彼女は起きて、ブラジャーをつけているとき、「なんてことしてくれたの!」と手で顔をはたかれてしまいました。(^_^;)
 その後、バツの悪い感じで、バスに乗って駅まで送ったけど、バスの中では「もうあそこがびしょびしょに濡れてるのよ」と何か、矛盾するようなことを言う。あー、あの時、強引にSEXまでいけばよかったのかな、と変な後悔をした。(^_^;)
(でも最初からその子とは結婚する気はあまりなかった。逆に、SEXまでいけば結婚せざるをえないかも、と思っていたから、あまり大胆になれなかった、というのも本音だ。何故、結婚する気はなかったかと言うと、そのとき彼女のはいていたストッキングが破れていたり、彼女の部屋もあまり片付いていない、とのことで、だらしない女性のようだったから。自分もだらしない方だけど、やっぱり家はいつも片付いていた方がいいもんね、と自分勝手な理屈を言う (^_^;))

 でもその日、駅まで送っていって、一人でアパートに帰って来るとき、電車のドアの所によりかかって外を見ながら、涙をポロポロ流しながら泣きました。「もう逢う事はないんだろうな」と思いつつ。

 そうそう、そんな彼女とは、その時、別れてから10年ぐらいして、また会いました。

 「同窓会を開きますので、○○さんと連絡をとりたいのですが?」と、彼女の実家に
ドキドキしながら電話したら、たまたま、そのとき彼女は実家に戻っていて、すぐ私だとばれてしまいましたけど....(^_^;)。
(彼女は女子高だったから、お母さんもおかしいな、と思っていたのでは(^_^;))
僕はもう結婚して、子どももいたけど、女房にはもちろん内緒で、こっそり夜、出てきたのです。
 夜、駅で待ち合わせて、遠くの公園までいっしょに歩いてデートしました。途中、ラブホがあったので、入ろうと手を引っぱって、誘ったけど断られてしまいました。
 ゆっくり食事でもして、以前のように、薄暗い公園でキスをしてから誘ったらよかったのかも(^_^;)
(いつもすぐ目的を完遂するのを急いでしまって失敗するのです。)
 まだ彼女は結婚してなくて僕の家の近くに住んでたのにはびっくりしました。
10年も経つから彼女も少し変わっていたけど「あの学生の頃と少しも変わらないね。」と言い合って、つかのま、お互いの近況を確認しあいました。
 そして待ち合わせた場所にまた戻ってきて、何かぎこちない時間が流れた後、
「家まで送ってくよ。」と私が言ったのに「ここで別れましょう。」って言われました。
 そこで住所と電話番号を聞いたけど、電話番号しか教えてくれなかった。

 それから数ヶ月後、電話したけど、もう引っ越していないみたいだった。
働いていた近くの職場ものぞいてみたけど、いなかった。

 こんなつまらない、でも何か切ない思い出です。

 さて、上京したてのころ、職場の仲間といっしょに遊びに行ったディスコで知り合い、一度,群馬県の大田市の大田駅で待ち合わせてデートしたこともありました。青森から上京し、そのときは太田市内にある味の素冷凍食品の工場で働いている、と言ってた。

自動車工場で働く彼氏がいるらしいのだが、ちょっとだったらいい (^_^;)、と言うので、デートをすることにした。

 渋谷のディスコで知り合ったのだが、ディスコの中は暗いので、そのときは顔はよく見えなかった。(^_^;) 同じ工場で働く女の子3人ぐらいのグループできていて、電話番号だけはしっかり書きとめておいた。そして大田駅前で待ち合わせて、改めて、日中の光の中でまじまじと顔を見たけど、あまり美人の子ではなかった。(^_^;) でも体つきはよかったので、まあいいか、という感じで、近くの山でデートをした。山頂に行く途中、わざと山道からはずれ、林の奥深くに誘った。そして、そこで倒してキスをしたが、「つきあっている人がいるから」と、急に拒み始め、やはり、そこでも、強引にSEXをする勇気(?(^_^;))まではなかった。

妻との出会い

 さて、初めてSEXをした妻とは見合いだった。ただし、見合いして1回ぐらいデートした後、こちらから正式に断った相手だった。なぜ、断ったかというと、紹介してくれた仲人さんがよく調べたら、相手の親の評判がよくないとわかった、その代わり、もっといい人を紹介すると言ったからだ。初めて見合いした東京の人で、その後、田舎に正月に帰って4,5人と見合いして、結局、うまくいかなくて、自分としては未練はあったのだけれど、まあ、いいか、とあきらめた。(^_^;)その後、しばらくして仲人さんの親戚の子を正式に紹介してくれた。(私の両親は、「もしかして、自分たちのために破談にしたのでは」と珍しく怒っていた。(^_^;))でも、紹介された子はお嬢さん育ちで体が弱そうで、こんな子ではいっしょに生活は大変かな、と感じて、2回目デートした後、結局、その縁談も断った。

 そう変な話だけれど、今、思い出すと、初めてのデートの朝、布団から起きたとき吐き気がして、ひどく頭が痛かった。直属の上司の名前さへ思い出せなくて、軽い脳虚血症のような症状が起こっていたように思う。人生で初めての見合いのデートと言うので、異常に緊張したのかなー。(^_^;)(15年後、脳のMRIをとったけど、そのような後遺症の映像はなかったみたいだけど)六本木のアマンドで待ち合わせして、映画を見に行った後、彼女の家で夕食をいただくことになっていた。家にあがると、彼女の家はアパートをやっていて、その住人の人たちも含め10人近くの人たちが私の一挙手一動作を見守る、というか、観察しているようだった。(ひぇー、なんだよ、この人たち、って思ったけどね。(^_^;))そうそう、妻が私を結婚相手として認めたのは、やさしくて、まじめそうで、酒好きの彼女の父親と違って、お酒やタバコを飲めないから、と言っていた。(^_^;)

 さて、そんなこんなで結婚に関しては、まだ当分考えなくていいか、と考えていた頃だ。それが、どういうわけか、「単に友達として、つき合ってくれませんか?」と会社に彼女から急に電話があって、ちょうど、暇だったので、喜んで、承諾した。(妻は、その電話をかける前、いろんな人と相談してみたらしく、みんな、電話してみたら、と励ましてくれたらしいのだが(^_^;)) その後の最初のデートの日に、私のアパートで結ばれたのだ。(私はちゃんと計画してて、デートの後、いかに彼女をアパートに連れ込むかいろいろ考えていたのだ(^_^;)

 妻は友達と海外旅行に翌週、出かけることになっていたので、「海外旅行前のプレゼントをあげるから、ぼくのアパートにこない」と誘うと、素直に従った。デートは千葉県の鋸山で、フェリーで出かけた、その帰りだ。6月の蒸し暑さが少しのこっていて、さきほどまで雨が降っていた夕ぐれ時だった。(私は雨男で、そのころはいつも何か大事なことをする日は決まって雨が降った。また、その雨がしとしと降っているという雰囲気も落ち着いていて好きだったし、また雨に打たれながら歩く自分も自虐的な意味で好きだったときがあった(^_^;))

 戻ってきて、部屋の裸電球をつけて、「プレゼントをあげるから、目をつぶってごらん」と言って、目をつぶって立ってる彼女をそっと抱きしめて、唇にキスをした。それから、そっと彼女を横にして、キスをつづけていたけど、いつのまにか、上のブラウスをはぎ、ブラジャー、タイトスカート、そしてストッキング、パンティと、あとはもう、獣のオスのように、夢中で彼女の体を貪っていて、いつのまにか、自分だけ果ててしまっていた。それが私の初体験だったけど、何か、男になった、というのと、彼女を征服した、という満足感で、その時はルンルン気分だった。(^_^;)

 彼女は「家にはやく帰らないと母に怒られる」と言うので、駅まで送っていった。その途中、暗い公園を通るとき、軽くキスをした。
 あくる日、彼女から電話があり、下からの出血がひどくて貧血で、職場で倒れた、と言っていた。(女性の初体験の場合は、出血が遅れるのだろうか?よく、女性の体のことはわからない。その後、何度か、アパートでSEXをしたが、よく妻は膀胱炎を起こしていた。後で考えると、独身のときは、自分のものを清潔に保っていなかったからなーと反省した。(^_^;))

不倫の因果?(^_^;)

 結婚していろいろわかったことがあった。
 実は妻の母は今もそうだが不倫をしていて、妻も小さな時からそのことには気がついていた。妻もそのことで非難したい気持ちがやまやまだったのだろう。ただ、そのお母さんが不倫に走った状況もよくわかっていたのだろうけれど。厳格な妻はいっしょに同居しているときでさへ、通常は母親と会う事も話すこともなく、ただお互い、何かあったときの助け合いやお父さんがかわいそうだから、との思いで同居しているにすぎなかったのだ。私はそのことに気づいていながら、仕事やボランティアに逃げていて、その不倫のことを真正面から妻と、ましてや義母とも話し合うことは避けてきた。

 そんな中途半端な気持ちが結局、災いしたのだろう。妻がなくなって2,3年して、結局、私も、不倫の相手をするようになってしまったのだ。あー、これも、私が放任し認めてしまった結果、そのお母さんの因果が私たち親子にも及んでしまったんだなー、と感じたのだ。これも人間の営みの一つだろう、けれど。まあ、だから人間社会にドラマが生まれるのだろうけれど。でも、やっぱり本来の正しい生活の仕方じゃないからね。

 妻が学生だった頃、義母が不倫をしにこそこそと出かける様を部屋の窓からさびしそうに見守っている姿を思い浮かべると、涙が出てくるのだった。その同じ想いを子どもにもさせてしまった自分も許せないし、これからも許してはいけない、と思うのだった。

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